カテゴリ:日常とか。

日常のだらだらした風景

2018/05/16

入院してました。

5/10-16という、一週間にも満たない期間ではありますが、人生はじめて自分で救急車を呼んで、入院しておりました。

事のおこりは5/2、人間じゃない♪から帰ったはいいものの、サイフの中身は1000円未満。給料日は10日。幸いにして備蓄の米とパスタと調味料はありましたので、それで食いつなぐことにいたしました。ええ、ほんとうに、それだけで。

5/7、GW明けて久々の出勤。昼飯には塩おにぎり、水筒に水を詰めてなんとか仕事はもちこたえ。ただ交通費、駐輪場代すらあやうかったので、歩いて通勤しておりました。片道30分ほどです。まあたまにはいいか、と。

で、その途中にある緑色に輝く看板が目に止まります。とあるハンバーガーショップです。ああ、久しぶりに肉が食べたい、と思ったとき気付きます。……ん、まてよ、確かそこの会員カードにチャージがされていなかったか。帰宅して調べると、1500円、そう、危ないときのためにチャージしておいたのです。ああ、過去の自分ありがとう!!そう思い、私は喜びいさんで久しぶりに肉を食べたのです。

その夜にはもう違和感がありました。なんだか消化が悪い……?胃の中にいつまでも残っている感じがするのです。んん? そういえば野菜もなにも暫く食べてなかった。消化が弱っていたんだろうか。まあでもいいか。そのまま就寝し……

夜中、腹からの痛みで目を覚まします。眠れないレベルの痛み。でも下痢とかそういうんでもない。ただ痛い。しかし2時間ぐらい耐えたでしょうか。外が明かるくなった頃には収まったため、あー睡眠時間が削られたと思いながらも、置き薬の胃薬を飲んで寝ました。そのままその日も仕事。でも念の為になけなしのお金で野菜ジュースを買いました。そうしたらほんの少し残っていた痛みもすぅと消えていき、ああ、なんだ、やっぱり野菜が……と思いました。その日の帰りもハンバーガーショップに寄り、念の為バーガー1個だけに。その夜も微妙にお腹になにかが残ってる感が続き、ああ、こりゃ消化が弱くなってんの確実だな……と思いながら就寝。この日は朝まで起きることはありませんでした。

5/9、次の日は待ちに待った給料日です。しかしそれでも、来月のことを考えれば、今日はバーガーショップには寄らないでおこう。私はそのまま家に帰ります。そこで冷蔵庫の奥にあった、賞味期限から半年以上経過したキムチに手を出します。浅漬タイプではない、本当に漬けてあるタイプのやつ。これなら大丈夫だろうと。ちょっと食べたらよく漬かってておいしかったのです。小鉢1つほどを盛り、食べました。

しかしそうするとどんどん手を出したくなるのが人間。そう、明日が給料日なのです。いったん耐える生活は終わるのです。私は自転車にまたがり、ハンバーガーショップに赴き。これまでで最も多くの量を食べました。消化不良のことは、野菜ジュースを飲んでいるので大丈夫だ、そう思って。そして、就寝。

かくして、その時はやってきます。5/10 2時10分ごろ、腹痛で目を覚まします。胃のあたりの痛み。今思えばそれは一昨日と同じ箇所なのですが、その時にまず思ったのは、キムチの食中りです。食中りなら暫くすれば……まったく収まりません。というより、なにか、悪いモノが残ってしまっている、そんな焦燥感。吐かなければ。トイレに行き、指を突っこんで、吐きます。胃液だけ。もう一度、胃液だけ。でも少しだけ痛みが収まった気がする。が、寝れるようなレベルじゃない。というよりまた強くなってくる。仕方無い、水を飲んで、そして、吐く。さっき飲んだ水以外出ない。いい、きっと中は薄まってるはず。それに少しだけ痛みが収まった、いやまた強くなった。痛い。今度はお湯を飲んで、そして…………。

4回ぐらい繰りかえしました。胃を洗ってやろう、そう思ったのです。でも、痛みは収まらない。こうなると自分の中で救急車という選択肢が現われてきます。これだけ吐いてもダメ。自分でやれること、ないか、ない……か……でも食中りて。そんなんで。でももう自分にやれることは、ない。

外は明かるくなってきました。痛みには波がありました。少し落ちつき気味のときに自分を見れば、身体は脂汗で、口回りは吐いた粘液でどろどろでした。あきらかに仕事に行ける体調ではありませんでした。例え、いま収まって就寝できたとしても、おそらくはマトモな職務遂行は不可能だと思われました。なら、もう、救急車を呼んでしまおう。そのほうがむしろ説明しやすい。最後はそんな打算で決めたのです。110だったか119だったかが分からず、先にスマホのブラウザで調べたあとで電話しました。「火事ですか救急ですか」「き。救急……」「症状は」「ふ、ふくつ……た。たぶん中りだとおもうんですけど……」「住所は」「な、なごやし……」ここで私ははじめて気付きました。自分がこんなにも消耗してたこと。そして、電話で症状住所をまともに伝えることすら困難なことに。……スマホの発信履歴を確認したところ、このとき、既に5時を過ぎておりました。

遠くでサイレンの音が聞こえ、消えました。住宅街なので配慮したのだろうと、そう思いました。携帯にもうすぐ到着するから鍵を開けて準備しておいてとの連絡があり、その通りにして暫く後でピンポンが鳴りました。返事をして、お腹を抑えながら、家の鍵を忘れて一度戻り、鍵どこだと探します。「自力歩行可能でーす」と、そんな声が聞こえました。乗りこみ、寝かされて、即座にもろもろの計器をつけられ、症状を聞かれ……丁度そのとき、痛みのピークが来ていました。呻きを抑えながら耐えてるところに「心筋かもしれない」という声が聞こえ、すこしぞっとしました。

そのまま病院に運ばれ、エコーやらCTやらを受け。痛み止めの効果か、診断が出るころには痛みはほとんど無くなっていました。出てきた診断は総胆管結石症。胆道に石が詰まっている、と。とはいえ、尿道結石の経験もあり、エコーで探し回られているのと、そこから漏れ聞こえてくる感じからも、容易に理解が出来ました。ただ、このまま入院をしてERCP検査をお勧めすると。そして同意書が出てきて、膵炎の可能性もある検査だという説明を受け、同意書にサインをします。ただ、今痛みは収まっているので、一度帰宅して準備してから入院したい旨を伝え、了承をもらいました。

職場に連絡し、実家に連絡したら近くの病院に転院を申し出ろだの言われふざけんなと思いながら、家に戻り、必要っぽいものを適当に詰めます。とはいえ入院に必要なモノなんて全然わからなかったので、着替えと携帯の充電器ぐらいを持って。ここで炊飯器がつけっぱになっていたのを処理できたのは幸運でした。予約のとおり御飯が炊けてたのです。検査まで絶飲絶食なのは聞いていたので、どうするかと考えて適当にラップして冷凍庫に放りこみました。

病院に戻り、戻ったはいいもののどこに行けばいいのか分からず、受付を混乱させたのも微笑ましいアレでしょうか。今考えてみると、思考能力が極端に落ちています。

そして午後にはERCP検査。胃カメラ自体は初でしたが、あんだけ自分で吐いたあとです、もうどんとこいと思いつつ、しかし不安もおもいつつ。が、実際にはカメラだのが通ることなんてなんともなく……地獄のような痛みは、恐らく、膵管に造影剤だの投入するところでしょうか。お腹の中で、なにかが動いて、なにかが注入され。そのとき激痛が走りました。叫びました。救急車を呼ぶ前の痛み以上のものがいきなり襲ってきたんです。抜いてくれとも言うことも出来ず、ただ叫びました。そして、堪えられるに足をばたんと、やってしまったのです。「危ない!」先生の叫びが確かに聞こえました。が、もう本能のまま叫ぶことしか出来ませんでした。

検査終了後に、あれだけ来るのを拒んでいた実家の面々が現われましたが、開口一番「大変だったんだね」でした。憤りしか感じませんでしたが、きっと疲れきった表情だったのでしょう。

まあそんなわけで、見事に同意書にある「リスク」を(ある意味自業自得で)引きあて、急性膵炎を発症し、目出度く入院も伸び。今日ようやく退院いたしました。かかった医療費は約16万(3割で)。……とりあえず限度額の申請まで支払い待ってもらってるのですが、それが通ったとしてもどうしようこれって頭を抱えている今現在です。


  1. R.K:ご退院おめでとうございます。 ご退院のお祝いとして魔界の古本屋より『赤い湯』の温泉の話を贈らせていただきます。
  2. 管理人:ありがとうございます!! 私の湯加減‥!! ステキすぎます!

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書いた日: 2018/05/16 22:25 カテゴリ:日常


作成:スラマイマラス
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