『人と蟲』

草木も寝静まる深夜。未だ酒場の明かりが煌々とあたりに影を提供する時間。
大通りよりもさらに奥まった場所にある路地に、一人の人物が縁石に腰掛け、何かをぶつぶつと呟いていた。
男であるか、女であるか、外見からその詳細は分からない。全身を黒いケープで覆ったその姿は、一切の外見的特性を外には出さないよう遮断している。
不審者、である事は間違いない。でなければ気を違えたか。何れにせよ治安がそこまで宜しくないこの街で、わざわざ襲われに向かっているとしか思えないその存在は、うずくまりながらただ何かをぶつぶつと呟くのみであった。
通常の神経を持っている存在であれば、不審がプラカードを持って街宣車に乗って大通りを闊歩しているような存在からは遠ざかるのは必然である。だが、例外というものは必ず存在するのだ。
「……おぃ、金出せや」
いつの間にか、その存在の周りには破落戸の集団が屯していた。別にその存在の下っ端というわけではない。そうであるならば、彼らが手に手に武器を持ち、それとなくちらつかせるなんて暴挙をするはずも無いだろう。
『……』
だが、その存在は彼らに気を留めることもなく、ただぶつぶつと何かを呟くのみであった。その存在にとって、彼らは塵芥に等しい存在なのかもしれない。あるいは、眼前を飛ぶ薮蚊か。不快の有無は分からぬにせよ、有り体に言えば『どうでもいい存在』であるか。
そんな彼の様子を、単純に無視したと捉えた破落戸は、単純に鶏冠に来たらしく舌も回らぬ訳の判らぬ言葉を叫びつつ、フードの男に掴みかかった。考えもなく、さながら獣の如く力に訴える行動。理性の片鱗も見えないその行為は、しかし本能からのそれではなかっただろう。もしこの男達に本能があるならば――いや、あったならば、そもそも近付かなかっただろうから。

風切り音一つ、辺りが暫しの静寂を取り戻す前に響いた音は、ただそれだけだった。
声もない。黒いローブの周りにいた男達は、最早それを出す術を失っていたし、出す知識を取り出す機能すら、失ってしまったのだ。
掴みかかった男が、取り囲んだ男が、みるみるうちに水分を失って萎んでいく。いや、失ったものは水分だけではない。彼らの中から、何か形あるものを啄み、咀嚼し、嚥下する音が響いているからだ。
血も、水も、体も――命も吸い取られているかのようだ……目の前の黒いローブに身を包んだ男に。さらに言えば、男の身に纏うローブから突き出た、数十本の触手に。
ローブの男から生えているようにも見えるそれは、破落戸達の敵意に反応し、袖口や彼の顔の位置から一気に溢れ出し、破落戸達の首や肺を一気に貫いて、その血潮や肉や臓腑を吸い取っていったのだ。
路地裏の闇が、人の皮が、暗いローブが捕食活動を覆い隠している。姿も、音も、そして――痕跡も。
やがて脆い骨と皮だけに変じた破落戸達は……御馳走様代わりの触手達の一撃により、文字通り塵に変じた。所詮は破落戸だ。翌日姿が消えたと騒ぐ者は僅かだろう。
ましてやこの街は……あらゆる暴力が容認されているのだから……男はくっくっ、と笑いながら、ローブの上から自らの体を撫でた。

……自らの体?いや、違う。居るのだ。彼の体とローブの間に、幾重にも絡み合った『生き物』が……。

『……ん?』
と、先程まで微動だにしなかった彼が、何かを感じたらしく顔を上げた。同時に、彼のローブが奇怪にうねる。ぐにゅり、ぐぴゅりと、粘液がこすれ合い泡を立てる音を響かせながら、蛇が這い回っているように隆起したのだ。
それを気にする様子もなく、路地裏の入り口を眺めるローブの男。大通りの明かりがまだ入ってくる場所に、ぽつりと見える影。それは徐々に大きくなり、やがてその持ち主が――路地裏へと足を進めてきた。
足音が立たないのは、何も履いていないからか。裸足のまま石畳を進む姿は、どこか歩き方を覚えたばかりの赤子のようにぎこちなくもある。
建物に手を付きつつ、ゆっくりと路地裏を進んでいく。その表情は分からないが、未知の場所を目指すとき特有の不安そうな様子は見えない。
……ぺと、ぺと、ぺと。
少しずつ、足音が響くようになるにつれ、その存在の外見が、黒のローブの男にはっきりと映るようになった。闇に埋もれる表情に浮かぶ、笑み。『感じて』いた物の正体が分かって浮かぶ、安堵の笑みだ。

『……そうか、人間になれたんだね……!』

そう呟く彼へと、足取り拙く近付く存在を、路地裏にある灯りが朧気に照らしていく……。
白磁の肌は見る者に憧れを抱かせ、本体の持つ美しさを引き立たせる。なだらかな脚線美や、逆三角形手前の括れラインは美の理想型を紡ぎ出す。
背まで伸びた長髪は烏の濡れ羽色。さらさらと風に揺れるそれは艶やかで思わず手に取りたくなってしまうだろう。幽かに丸みを帯びた顔立ちは、微笑ですら見る者に笑顔を与え魅せるだろう。腕もさながら石膏像のように完成されていた。恐らく、生まれたときから存在する美の才能を磨き上げたら、このような外見になるのかもしれない。それだけ魅力的な……まだ年若い、少女と言っても過言ではない女性であった。
だが……'人間の女性として'美しい、という思いは、少女の背中で揺れる物体を見た瞬間微塵も無くなるだろう。

ゆらん、ゆらん。
重力に逆らうように先端を上に向けたまま、彼女の背中で薄い赤紫色をした、少女の手首ほどの太さがある縄のような物体が揺れている。その先端は彼女の顔を包み込んでしまえるほどに大きく、ぷっくりと膨らんでいる。
それが一本だけではなく、二本、三本……沢山。先に述べた膨らんでいる先端を持つ物が三本と、他はすらりとした触手が沢山だ。それらは全て、彼女の尻から股間部分までを包み込む、さながら蜂や蟻を思わせる、ぷっくりとした腹部から発生している。
特に股間の部分はぴっちりと厚みのある肉が貼り付き、ちょっとやそっとでは外れず、傷つけることすら不可能であるかのように見える。よく見れば、接着面から飛び出た微細な触手が、彼女の皮膚に侵蝕していた。
さらに、先に述べた脚線美と腰のラインには、ラバーを思わせる触手と同じ色の外殻が密着して包み込んでいる。それらは背中にも張り付きながら、腹部や胸元に淫猥な曲線(ライン)を描いている。
外見に不釣り合いな二つの胸すら、ぴっちりと包み込むラバー。だがよく見ると、さながら瞼のような切れ目が見える。時折呼吸をするように開いては、その豊かに実る双球を露わにしている。
そして首筋から頭頂に向かってぷっくりと盛り上がりながら貼り付いた触手の存在が、彼女の異様さを際立たせている。よく見ると、彼女の体に貼り付いたそれは隆起と収縮を繰り返している。耳を澄ますとどくん、どくんと脈打つ音が響きそうだ。
昆虫のような、と先に述べたが、このような蟲は自然界に存在しない。存在したとして、それは一体一体が独立して人体に寄生するタイプである。間違っても――一体が丸々人体を制圧し、あまつさえ乗っ取るなどという芸当が出来るような昆虫は、存在するはずがなかった。だがこうして、目の前の少女は全身を制圧されてしまっている。
ゆっくりと、まるで体を慣らすように歩く少女。かのじょはそのまま黒のローブの男の前まで歩くと――そのまま、口を開き、声を出した。

「――マスター」


外法魔導師。
魔法遣いの中でも上位の存在である魔導師。その中でも、人間社会に於いて適応される倫理を逸脱した研究を行うものを、この世界ではそう呼んでいる。
そして彼も、そんな外道の一人であった。

彼の研究は、人体に寄生する寄生蟲を用いたものであった。人体に適応し、自身の最適な環境へと変化させていくその習性から、人体の強化開発や改造にも使えるのかもしれない、そう思い当たったからだ。
長年の研究の末、彼は究極とも言える寄生蟲を創り出すことに成功した。
この寄生蟲は、宿主の股間から腰回りにかけて寄生し、宿主の排泄物や分泌物の吸収によって成長する。特に性器や胸部からの分泌物は多大な栄養となり、宿主が絶頂を数度迎える度に形態を変化させていく。
始めのうちは腰回りだけだが、成長するにつれて宿主の体を外殻が被い、臀部を呑み込むようになる。そのまま武器用の触手が生えた辺りから、宿主の意識の侵蝕が始まる。この頃には体を被う皮膜と宿主の体が神経レベルで一体化し始めており、自力での抵抗も怪しくなってくる。
そして頭部への侵食が始まって、しばらく時が経過した後――蟲は宿主の意識を取り込み、完全に乗っ取るのだ。

次第に体、記憶、そして精神までも全てを侵蝕して乗っ取る寄生蟲――彼はこれを『侵蝕蟲』と名付けた。だが、研究の際に使用した奴隷に対する扱いの非道さから、彼は賞金をかけられる。
追っ手との戦いの中で、彼は人間の体であることの限界を感じ、自らを侵蝕蟲の母体として、改造した……。
母体となった彼は、自ら生み出した侵蝕蟲を他者に寄生させることを始めた。だがそれは、研究者としての彼ではなく、あくまで我が子の成長を見守り喜ぶ、親としての彼の行為となっていた。

――そして、その娘の一人が今、目の前にいる。
今までの娘とは違う、困惑の表情を浮かべて。


「……ねぇ、マスター」
黒いローブの男は、その漆黒に包まれた奥にある双眸で彼女の外見を眺めていた。その上で、彼は他の個体が持たない、彼女だけが持っている'特徴'に触れた。
『……ん?何だい?浮かない顔だね』
元来、彼が寄生させた個体は、最後に肉体を乗っ取ったその後は、喜びのまま彼に会い、感謝を告げてから自由気ままに世界を飛び回って寄生の輪を広げていくものなのだ。十匹居たら、十'人'はそうしてきた。
だからこそ、今ここに来た彼女の反応は、彼にとって興味深かったのだ。――肉体も、存在も、全て自分の物になったというのに、何故こうも戸惑っているのか。
話してごらん、という彼の態度。それは研究者としての彼の興味が前面に押し出されていることは間違いはない。人間性とは程遠い存在。
けれど……。
「……どうして……」
けれど彼女は……つい先程まで人間でなかった彼女は――。
『……?』
――問いかける相手を選べない。

「……どうしてこの娘は、こんなにも私に……」

『宿主、とは表現しないんだね、君は』
「……」
素っ気なく返る彼の言葉に、黙り込む彼女。背中の触手が所在なくゆらりゆらりと揺れる。一部は彼女の顔と同じようにへにょりと前に垂れている。
畳み掛けるように、彼は告げる。それは目の前の個体を気にかけるというより、ただ確認のつもりで尋ねただけであった。実際――気を遣ったのは、彼に寄生する侵蝕蟲の方だ。
『記憶を読んだんだろう?それでも分からなかったのかい?』完全侵蝕の際、彼女達は宿主の記憶まで完全にコピーをし、宿主として振る舞う事を可能にする。精神や感情は記憶によって作られるからだ。
その過程で、無感情に捉える物ではあれど、彼女は宿主に何が起こったか、と言うことは理解することになる。解釈は完全侵蝕の後だ。
だが……本質的に違う物を、理解することは難しい。
「……精神も、感情も、記憶も、体も全て私のものになった……私のものになる筈だった。
確かに記憶と体は、私のものだ。けど……」
彼女は分からなかった。宿主である少女が何を思っていたか。故に、感情を消化できず、宿主の感情が残留思念の如く彼女の中に残っていた。そして、それを見抜けないマスターではない。
『……君の中に、暖かい感情が見えるね。たぶんそれが宿主の感情かな?』
「……ええ、マスター」
肯きながらばつの悪そうな顔をする彼女。実際戸惑いが多いのかもしれない。そんな彼女を、彼はローブの奥でニヤニヤと見つめていた。特例中の特例と言うことで学者としての興味が湧いたのかもしれない。
『実際僕も初めてだったりするよ。心を明け渡さなかった人間……いや、心までも塗りつぶさなかった個体はね。
九割九分の人間は、抗う。どんな人間だって、【自分】が奪われて喜ぶ人間なんて居ない。
それに下手をしたら引き剥がされる君達が、心を残すかい?』
「……ええ。私も、彼女を完全に取り込むつもりでいました」
『けど、出来なかった。それも、本来抗うのと全く逆の精神が働いたから……そういうわけかい?』
これ幸いとは行かないのだな、と男は一人ごちつつ、彼女の触手に、自ら伸ばした触手を絡ませる。
ぴくん、と震える彼女をよそに、彼は触手をしゅるしゅると伸ばし、太い触手に絡め、沈めていく。
『ちょっと記憶を読むね。大丈夫。痛くはならないから』
そうして彼女の触手から深層へと潜り込ませていく彼。彼女の表情に苦しみの様子は見られない。コピーした記憶をさらに複製して渡すだけだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
……ある程度まで読んだところで、彼は触手を彼女から外した。表情は分からないが、どうやら得心がいったようである。
『……本当に、心の底から献身的だったようだね』
ある程度の皮肉を込めた一言は、彼女には通じなかったらしい。
「……ええ。最後の最後、私が全てを奪うときになっても、彼女は……私のことを心配していましたから」
おいおい、と内心突っ込みを入れつつ、彼は会話を一度切り、思考を巡らせた。確かに、これは侵蝕蟲の思考では難しいだろう。

いずれ自分を消すことになる存在を『優しい存在』と思えるようになるような、凄惨な家庭環境に、この宿主が身を置かれていたこと。
肉体も精神も一切を疎んじられ、真綿で首を絞めるように緩やかに、確実に死に近付かせる生活をさせられていたこと。
その中で宿主の精神は、既に大切な部分が欠けてしまっていたこと、それが侵蝕蟲によって取り戻されたということ。

宿主には、始めから何もなかったのだ。あったのは侵蝕蟲によって与えられた物だけ。だからこそ宿主は彼女に全てを与えられた。
いくら記憶を読みとったとして、侵蝕蟲にとってはそれはただの事実でしかないのだ……。


『……それで、これからどうするんだい?』
全てを理解したマスターは、彼の娘である侵蝕蟲に向けて告げた。
「……え?」
質問の意味が掴めず、戸惑いを浮かべる少女。触手も心なしかクエスチョンマークを描いているようだ。そこに彼は二つの選択肢を与えた。
『このまま少女の感情を残しておくか、それとも強引に喰らい尽くすか』
マスターとしては前者を、父親としては後者を願っていた。このまま残すことによって、侵蝕蟲にどんな影響があるかを知りたいという心理が、そこにはある。
だがその一方で、父親としては将来的に真の意味を知って、壊れやしないかと心配ではあった。凄惨な思いなら、いっそのこと全てを無かったことにして、彼女として暮らして欲しい……それも願いとしてあった。
だが、あくまでも選ぶのは彼女自身だ。
「……」
『マスターである僕からは、何も命じないよ。全ては君がどうするかだ』
マスターの言葉に、彼女は自分がどうしたいか、を考えることにした。それは親から言われたことをそのまま行う娘という、間接的な命令も良いところの状況のようにも見えたかもしれない。
しかし、既に彼女は答えを自分で見つけようと心に決めていたようだ。それはマスターの返答を受けながらも、それでも何処かモヤモヤした心。彼が記憶について大して何も言わないことから、恐らくそれは今理解できる物では無いことを、情緒のない理性的な思考の中で、それとなく理解していた。
ならば――。

「……もう少し、この娘と付き合ってみます。世界を見て回りながら」

『……へぇ、それが君の選択か』
「……」
こくん、と一礼。それが惑いながらも出した、彼女としての結論だ。触手も彼女の決意が本気であると証明するかのように、ぴしん、と固まっている。
カチコチに固まった彼女を、彼は何処か微笑ましい視線で眺めていた。彼の触手は強引に消せやしまいかと彼に問いかけているようだが、彼は綺麗にそれを黙殺すると――向き直り、優しく告げた。
『……全く、君が一番今までの娘達の中で一番『人間』らしいよ。みんな「体を得て何をするか」が「仲間を増やす」だったからねぇ。
僕はそれも喜ばしいよ。というよりも僕らが段々と増えることは、マスターとしても、親としても嬉しいことなんだ。
けど、それは人間としてじゃなくて、あくまで僕ら『侵蝕蟲』が人の体を使ってやっているだけに過ぎないんだ。それを人間と言えると思うかい?』
彼女は首を横に振る。
「……人間という物が何を指すかは分かりません。ですが……Yes/Noで言えば、私はNoだと思います」
この思考自体が、従来の娘達には有り得ない事だと、彼女は気付いていない。彼も娘のこの反応には内心驚いていた。寄生した娘によって、ここまで自我の差があるのか、という研究者としての興味もむくむくと湧いてくるのを抑えられずにいた。
それを何とか意識下に納めつつ、彼は続ける。
『たった一つの答えがあるわけじゃないけどね。人間にもある生物的な本能がそれだから、人間ではない、とは一概には言えないよ。
けど、君も感じているとは思うけれど、こうして話しているこの時点で、本来ならば僕らは、いや、僕の娘達は完結してしまっているんだ』
細胞の老化の停止及び新陳代謝の恒常化安定化。肉体の回復及び修復速度の向上。病原体に対する抗体の製造効率増加及びガン細胞発生率の減少。老廃物や排泄物を吸収し生存に必要な栄養を精製する能力……。
これだけでも不死に近い状態なのに、その上に外殻は刃を通さず、触手は相手を貫き栄養を得、そのまま自らの傷を癒すとあっては、肉体的には無敵も良いところだろう。それでいて肉体改造の結果、あらゆる部位の美貌を維持している。
おまけに脳の記憶容量や演算能力の飛躍的な向上とあっては……最早、非の打ち所がない。あくまでスペック的には。
故に、完結している。能力があまりにも引き上げられ、しかも老化の停止によって肉体の変化が無くなってしまった事の、弊害のようなものだ。

しかし、彼女は違う。肉体こそ前述の通りだが、本来完全に吸収しきるはずの精神が、分かたれたままの状態で存在するのだ。不完全であること、それは疑いを持つことに繋がるのだ。
完全は疑いを持たない。しかし不完全は疑いを持つ。そして疑いを持つことは……そのまま成長へと繋がるのだ。
疑いを持ち、成長する。これが動物と人間との違いの一つであり、図らずも彼女はそれを満たしてしまっている。
『……だからこそ、完結していない君が、これから生きる中で何をしたか、何を感じたか、手紙を書いて僕に知らせて欲しい。
他の誰とも違う、君が選んだ道が、どんな行く末になるのか、僕も興味があるんだ……』
その願いは、研究者の動機をもって伝えられたが、本質的には親としての思いが勝っていた。要は、娘が心配なのだ。他の娘とは違う、迷いが残る娘の行く末が。
迷いは生存競争では不利な要素となる。故にこの先彼女は他の娘と比べ苦難の道を歩むことになるだろう……侵蝕蟲の親としての彼が危惧を抱いている。彼の提案は自らの欲求も満たしつつ、侵蝕蟲を安心させる物として出されたのだった。

「……。ええ、マスター」

彼女もその内実が分かっていたからこそ、こうしてやや苦々しい表情を浮かべつつも肯いたのだろう。そんな彼女に、彼はただ良い子だと頭を撫でるだけに留めたのだった。


『――さて』
旅立ちの姿を見送った後、彼は再び、表通りへと静かに進み出た。
彼女はちょっとしたイレギュラーだったが、お陰で今後の参考にもなる貴重な経験が出来た、と彼は感じていた。
彼に寄生する侵蝕蟲の母体は、先程食べた大量の栄養から、既に数匹彼の体に産み落としている。新たな'娘'を見たい、そう彼に訴えているのだ。
科学者の冷酷さか、親としての温情か……彼の内側にある物は分からない。だが彼女との交流を見る限り、恐らくはどちらも存在し、どちらも表面化しては沈んでいく類のモノのようだ。

ただ一つ。どちらにも共通することがある。それは――今後も、二人は新たな'娘'を探し続けるだろう。
今宵もまた――。

『――どうも。私、ミスリィル商会の者です』