衝動の矛先・表

「ただいまー」
いつものように買出しから帰ってきたかなや。しかし、普段はすぐに出迎えてくれるはずのさはらの姿が見えない。少し気にはなったものの、いつものように水分不足になってぐったりしているんだろう、などと考えながら奥の部屋に進んでいく。
そして、食料を片付け終え一息つこうとしたその時、ふと、頭の上に「ピチャッ」と何かが降ってきた。手で触って見てみると、それは真っ赤でぬるぬるとした粘り気がある液体。そしてよく知っている甘い香りがする。
まさか、と思い振り返ろうとしたその瞬間、
「かなやさぁーん」
その声とともに後ろから何かがシュルシュルと伸びてきた。

「なに…するんだよ、さはら」
不意にかなやは言葉を発する。かなやの体にはさっき彼女に向かって伸びてきた液体とも個体ともつかないような赤い棒状のものが2本絡み付いている。この物体は…。
「かなやさん。同族以外で初めて仲良くしてくれた、わたしの最初のお友達…。」
後ろからさはらの声がする。さっきからかなやの体に絡み付いているのは…さはらの腕だ。天井から赤い粘液がじゅるじゅると垂れ、その先にさはらの上半身だけがにゅっと逆さまに生えている。いつもは、恥ずかしいからと服を着ているように見せている擬態は今日はなぜかしておらず裸の姿を露出している。
「わたし、かなやさんのことが大好きです。でも…」
さはらの腕は糊のようにべったりとへばりつきかなやの体を離そうとしない。
「今のままじゃ何かが足りない。もっと近くにいたい。もっと一緒になりたいんです」
絡みつく腕が徐々に力を増す。
「ど、どうしたのさはら?なんかへんなものでもたべたの?」
唐突にわけのわからない事を言い出すさはらにかなやは戸惑いを隠せない。
「ね…、かなやさん『わたし達』の同胞になってください」
さらに、言葉を続けるさはら。明らかにさはらの様子がいつもと違う。それに、わたし「たち」?
ここにはわたしとさはらのふたりしかいないはずなのに…。と、かなやがそう思った矢先、部屋のいたるところからさはらの体色と同じ色の真っ赤な粘液がじゅるじゅると溢れ出す。


「!な、なにこれ…」
突然の出来事にかなやは目を見開く。
ぐちゅ、ぐちゅり。
床下から、天井から、水道の蛇口から、排水口から、数え切れない程の場所から不気味な音を立てながら粘液は溢れ、増殖を続け、瞬く間に部屋中を飲み込んでしまう。

そして―。
ぐにゅぐにゅ。ぐにゃり。
粘液が盛り上がり始め、あちこちに少女らしき女体の上半身が形成されていく。
「ウフフ」
「あはっ」
一人、また一人とすぐさま数は増えていき、あっという間にかなやの周りを取り囲んでしまう。彼女達はさはらと同じ色の体をし、胸の奥に赤茶色のコアを宿している。さはらと同じかちょっと年上そうな顔つきな子から、かなやより幼そうな子まで様々だ。どうやらさはらが仲間を呼び寄せていたらしい。
そして、その娘達は腕を一斉に上げたかと思いきや、さはらと同じように、その腕をかなやの体に絡み付かせようとしてくる。
「!や、やめっ…」
抵抗しようにもすでにさはらに取り憑かれ身動きが取れないかなやは、他のスラ娘たちにもたやすく拘束されてしまう。何とか必死になって抜け出そうとするが、足が思うように動かない。不思議に思って恐る恐る自らの足に視線を向ける。―と、


「ひっ!?」
なんとすでに足元にも大量のスライムが押し寄せかなやの足をずぶずぶと飲み込んでしまっていたのだ。気付けば、両手両足が粘液で拘束され、体の自由が全くきかなくなってしまっていた。
「うう、くそぉ…」
それでも何とか逃げ出せないかと必死になってもがくが、その抵抗も虚しく、手足をじたばたさせたところで拘束しているスラ娘達の腕がほどけるわけでもなかった。
「かなやさん…、さ、私達と一緒になるです。」
甘い口調とともにさはらは天井からさらに体を伸ばし、かなやの顔に自らの唇を近づけていく。徐々に近づけてくるさはらの顔が、かなやには何かとても恐ろしいものに見えた気がした。
「やめて、こないで…」
しきりに首を振りながらさはらを拒絶しようとするが、そんなことなどおかまいなしにさはらの顔がさらに近づいてくる。
「ひっ…。い、いや…」
恐怖のあまり声が段々と震えてくる。そして、かなやとさはらの唇が触れそうになった瞬間…。
「いやあああぁぁぁぁっ!!」
最後の力を振り絞って涙を流しながら悲鳴を上げるかなや。
その瞬間…。

―――イケナイ―――。

刻み込まれるようにさはらの頭の中に聞こえてくる声。その声は…。さはらが自分の親友に対して取り返しのつかないことをしているのだ、とでも警告してくるかのような、そんな声だった。
その声に、はっと我に返ったさはらは涙で顔をぐしゃぐしゃにしているかなやを目の当たりにする。その顔を見て、深い悲しみと、自分への強い嫌悪が沸き起こる。そして、次の瞬間さはらの目の前は真っ白になり―――。


―――先程の部屋、冷蔵庫の傍に赤い粘液の塊が広がっている。その周りには誰が置いたのか氷のうが幾つか並べられている。だが、粘液の固まりは形を失っていて、ぴくりとも動かない。しかしその時、
「ん…?」
その粘液から声がした。と、同時に徐々に体が形成されていく。頭には2つに縛った髪。そしてチュニックを装った服とスカートの途中部分までが擬態として作り上げられている。…さはらである。
「さっき、わたし…何を…?たしか、かなやさんが…」
そこまで口にした後、先程の光景を思い出す。かなやに対してしていたこと、かなやが嫌がる姿、かなやの涙で崩れた顔、それらが一気に鮮明に蘇る。
「!か、かなやさん!かなやさん!?」
慌ててかなやの名前を呼ぶが、そこにかなやの姿はない。それどころか、さっきまでいたはずの仲間のスラ娘の姿もないし、部屋を覆い包んでいたスライムさえ消え去っている。
「…?」
あまりの景色の変わりように困惑するさはら。そこへ、
「さはらー?どしたの?」
向こうの部屋から声とともに誰かがやってくる。透きとおるような白髪に猫耳、しっぽを生やした、けれども対照的に衣服はセーラー服に黒タイツという真っ黒な格好の少女。
「かなやさん!?…え?」
それはいつものかなやだった。さっきの光景が嘘のように平然とたたずんでいる。
「んー、あ、そっか。さはら、だいじょうぶ?」
「…はい?」
突然の問いかけに何の事だかわからない、という顔をするさはら。
「きょうさ、ものすごくあつかったでしょ?さはら、からだがかわいたからって、おおいそぎでれいぞうこにむかっていったんだけど…」
その言葉を聞き徐々に頭の中でもやもやとしていた記憶が戻り始める。
「あ…」
「それをおいかけてったら、さはらがいつのまにかれいぞうこのそばにたおれこんじゃってたんだよ。…ちょうりしゅをひとびんからっぽにして」
ちょうりしゅ…。調理酒!?…かなやの言葉を聞き終え、さはらの中でやっと今までの事がひとつに繋がった。
「夢、だったんですか…」
「?」
さっきまでの自分がかなやにしていたとんでもないことの数々。あれは全部、夢だった。あまりの無茶苦茶な自分の行動、それはこれ以上思い出したくもない出来事だったが、夢で済んだ、ということにひとまず安堵する。しかし、それを引き金に今までの緊張が緩み、力が抜け、さはらから涙が溢れる。
「え、ちょっ!?どうしたの!」
さっきからよくわからない言動を重ねるさはらに、かなやは困り果てる。そして、
「うわああぁぁぁん、かなやさあぁぁん……」
涙を散らしながら、かなやに抱きつくさはら。かなやは驚き、抱きつかれた勢いのままとすんと尻餅をついてしまう。だが。
「怖かった、ひっく、怖かったです…」
何があったかは知らないけれど、自分に泣きついてくるさはらに、
「…よしよし」
そう言って優しく頭を撫でてあげるのだった。

――今までの夢のせいで心が疲れきっていたのか、かなやに撫でられているうちに次第に瞼が重くなり、
「すー、すー」
そのままさはらは眠りについてしまった。
「ふふ、なんだかわたし、おねえさんになったみたい。ほんとはさはらのほうがおねえさんなのに」
さはらに寄りかかられたかなやは、そんなことを言いながらちょっと照れくさそうにさはらの顔を見つめ微笑んでいるのだった。
「だいじょうぶだよ。なにがあっても。わたしがずっとそばにいてあげるから…」
すっかり深い眠りについてしまったさはらに、そう言葉を投げかけるかなや。気のせいか、さはらの口元が少し緩んだようにも見えた。そして、さっきの言葉はかなや自身に言い聞かせているかのようでもあった―――。


―――さはらの見た夢、それは大量の酒のせいで、理性、抑制を失いかけたまま眠ってしまったさはらが映し出した、本能のあるべき姿だったのかもしれない。もし、さはらの理性が本能に負けてしまった時、かなやがその時の彼女を受け入れることができるのか、あるいは―。「その答え」は「その時」が来なければわかるはずもないのだが…。

―fin