「しらばっくれないでよ。昨夜私をレイプしようとした、あの男をどうしたの?」
営業中、接客中もどう問いただそうか、ずっとこのことばかりを考えていた。 営業終了後、時夜(と名乗ったが、本名かどうかは怪しいものだ)は倉庫へと私を呼びだした。 普段人がいなく、意外に防音もしっかりしているここならば、いろいろと好都合だった。
しかし呼びだした本人である時夜は、にやにやとした笑みを浮かべつつ 「なにを聞きたいのかしら?」ととぼけたのだ。 私が声を荒げるのは当然だった。 だが時夜はまったく動じず、その笑みを崩さず、 自らの下腹部を撫でながらこう言いはなった。
「ふふ、今は、私のなかで楽しんでおられますわ。 会いたいのでしたら、会わせてさしあげましょうか。」
「ええ、そうしてもらえるかしら。」
よくわからない返答だが引くわけにはいかなかった。あの男が消えたとなればまず疑われるのは自分だ。 所在を確認しておきたかったのだ。
「では…」
時夜は返事をすると、なにを思ったのか自分の服の胸元のボタンを外しはじめる。
「ちょ、なにを…」
その突然の行動には驚かざるをえなかった。しかし、本当に驚くのはそれからだった。 ふと腹部に目を落とすと、時夜の腹部が突然まるで風船のように膨らみはじめているではないか。
私は言葉を失しなった。しかし目を離すことはできなかった。 腹はあっというまに妊婦のように膨らんでいった。だが、それだけでは終わらなかった。 丸呑みした蛇が獲物を吐きだすかのように、その膨らみは上へ上へとゆっくり移動してゆく。
そしてついにそれが胸へと達っしたとき、丁度時夜はボタンを外し終わったところだった。
「さあ、どうぞ、面会時間ですわ。」
時夜はがばりと、その胸元を開いた。 男ならすぐ目がゆくであろう、その豊満かつ美しい胸の間に、 人ではありえない、もうひとつの膨らみがあった。 そしてそれは、どうすればここまで骨と皮だけになるのかという、 極限まで痩せほそった人の顔の形をしていた。
私はその瞬間には驚いたが、すぐにはつくりものだろう、と思った。 よく見ればなにか艶のある粘液にまみれたその頭には生気がまったく感じられなかった。 ミイラ男の人形の頭でも仕込んでおいたのだろう、悪趣味な冗談だ、 ひっかかる私も私だが。自嘲しつつも、少し安心した。
しかしそう思った瞬間だった。ぞろりと、目が動き、私の視線と交錯した。 そして、口が動いたのだ。こう喋ったのだ。
「…おう、……堤じゃないか…」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
今度こそ私に出来るのはは悲鳴を上げることだけだった。 頭はとにかくそこから逃げねばならないと命令する。 身体を反転させ、床を蹴り、靴が脱げたが気にせずに、ドアに向かって走る。 扉に着く。ノブを掴む。 だが、掴んだ手からは金属の冷えた感覚ではなく、生卵の白身を握りつぶしたかのような、 ねちょりとした生理的な嫌悪感を伝えてくる。 反射的に手を引っこめる。反射的に叫ぶ。
「な、なによこれ!!」
その叫びに答えるものはなく、その代わりに背後から足音がひとつ、聞こえてくる。 もう考えてはいられなかった。もう一度掴む。回す。しかし滑って回らない。 それでも回す。回らない。足音がまたひとつ。回す。回らない。
「堤ぃ……なんで、逃げるんだよ……」
その声はほんのすぐ背後からだった。思わず振り返る。 そこにはさきほどとなんら変わらぬ微笑みのをしつつ、胸からミイラを生やした時夜が立っていた。
私が感じたのは恐怖だった。思わず一歩後づさるが、ドアが背中に当たるだけだった。 私は指を震わせながら、時夜の胸のミイラを指さして叫ぶ。
「な、ななな、な、なんなの、なんなのよ!!それは!!」
ミイラは笑いながら、そう、確かに笑いながら、答える。
「…ずいぶんな、ご挨拶じゃないか………。あんなに…かわいがったのに…堤ぃ」
変わり果てたその姿ではあったが、見間違うことはできなかった。 そう、最初からその考えは頭にあったのだ。 それを否定したくて、つくりものだと思ったのだ。
「荒井だよ、荒井……。わかってんだろ…。」
そうなのだ。荒井、だったのだ。私は次にこう叫ぶ。
「なな、な、なんんで、そんな、そんなと、ところに!!」
叫んだあとで気がついて、口を塞いだ。何故か嫌な予感がした。
「なんで……、って……、愚問だぜ…、堤ぃ。 俺が……、頼んで……入れてもらったんだよ…時夜さまに……。 …ここは、最高だぜ……、堤ぃ、お前なんかより……ずっと、ずっと……、きもちいい……。 全身が……やわらかい…大きな……自在に動く…舌のような肉で……舐めまわされてるみたいだ……。 でっかい蛞蝓に……全身…包まれて…ゆっくりと……俺の身体を動きまわってる…みたいなんだ……。 こうして……しゃべっている間にも…俺の…全身が……震えて……精子を…吐きだし続けてるんだぜ…。 想像…できないだろ…。」
荒井は途切れ途切れに言った。 想像したくもなかったが、その間、確かに彼は何度も絶頂を迎えているようだった。
しかし、荒井の話を聞いているうちに、私の中でなにかが冷めていった。 自分を長い間セクハラで苦しめ、自分が長い間耐えた存在が、 今はどうだろう、女の付属物と化しているではないか。
「…無様。」
思ったことが思わず口に出てしまった。しまったと思った。 あの五月蝿い、恐しい荒井の怒声がとんでくると思った。 しかし、予想と反応は違っていた。
「…くくく、そうか?確かにそうかもしれんが…、 今の俺から見れば、お前の方が無様だよ。…堤、お前はなにも出来ないじゃないか…。」
首だけでなにを言いだすのか、と思った。
「…なにを売っているか知っていたのに…そのまま売り続けた…。 告発だって出来たろうに…、客が満足していればいいと……胡麻化し続けていたな…。」
確かにその通りだった。
「……俺がセクハラしても……何も言わなかったな……。 くく、扱いやすい…女だと思ったよ…。」
「五月蝿い…」
くだらない言葉のはずだった。 しかし、確かにそうだったのだ。
こんな、首だけの、私をいつも嬲りものにしていた、こんな男が、何故、知っている。 私が、いつも、いつも、こうすればいいと思いつつ、出来なかったことを、何故、知っている。 私の足は怒りで震えていた。しかし、ひとりでに下っていた。荒井の言葉は続く。
「自分かわいさで……、なにも出来ないお前…。 ……くく、俺は決断できたんだよ……、この快楽さえあれば…なにも…いらないと。お前には、出来ないだろう?」
「…五月蝿い!!お前に出来ることが、私に出来ないわけがない!!」
こう言うしかなかった。こう言わないと、どうにかなってしまいそうだった。 だが、その言葉に返答したのは荒井ではなく、時夜だった。
「ならば言ってみなさい。あなたの、願いを。」
そう、彼女がいたのだ。 荒井が時夜の付属物になっているのに、私はついさっきまで彼女の存在を忘れていた。 見れば、時夜の目の色が、ついさっきまでとは変わっているのだ。 そして気がつけば、次に自分がいつのまにか部屋の隅に追いつめられているのだ。
「…言えないのかしら?……ふふ、いいわ。」
そして、時夜がわざわざ倉庫に呼び出し、荒井を出した意図に気がついた。 時夜は、この場面を、あの科白をまっていたのだ。
「こうすると、私に隠し事は出来なくなってしまうのよ。」
時夜は突然顔を近づけてきた。後ろは壁。顔を引いても逃げられはしなかった。 時夜はそのまま舌を出し、私のほほを、ぺろり、と舐めた。
頬と舌の間から、べっとりと太い糸が引いた。傍から見ればそれだけだっただろう。 しかし、私にはそれだけで、たったそれだけで震えるほどの快感が走ったのだ。 そう、時夜の舌は、舌ではなかった。凶器だった。
頬に触れ、0.1mm動いた瞬間にぞろりと肉の襞が集まる。 さらに0.1mm動くと、襞から唾液などよりさらに粘る、 片栗粉をたっぷりと使った甘いソースのような液体が襞から噴出する。 その液体は細胞同士の結合を柔らげ、頬をゆるやかに溶かしてゆく。
さらに0.5mmも舌が動くと、溶け出した頬の細胞ひとつひとつが、 粘液の中で肉襞に丁寧にやさしく刺激される。 まるで肉襞と頬細胞がダンスをしているようだった。 その喜びを快楽に変えて、神経に送りだす。
さらに1mmも動けば、神経細胞すらも直接その肉襞と踊りだしたのだ。
体験したことがない感覚だった。まったく異次元の快楽だった。 舐め終わり、舌が離れると、幾つかの細胞はそのまま舌についていってしまった。 残った細胞も落胆した。舌が届かなかった細胞は落胆した。 心の前に、身体が屈服した。そして、そう、ほんの数mmだが、堤の頬は確かに擦り減ったのだ。
でも、こうじゃないと思った。私にはもっときもちいいことがあると思った。
「…ふふ、わかったわ。」
時夜には、わかるようだった。
「あなたの細胞が、心からの伝言を伝えてくれた。荒井とは違う、あなたの願い。」
堤京子・一、完
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