視界に光が戻ってきて、だんだんと焦点が合ってゆく。 目の前に女の姿。こちらに近づいてくる。メイド服。 女は足を曲げ屈む。顔が俺の目の前にくる。笑っている。 ぺろりと舌なめずりをする。手で俺の顎のあたりを撫でる。 そしてそのまま女はさらに顔を近づけ、俺に口づけをする。
口内に舌が入ってきてにゅるりと丹念に舐めまわす。 唇の裏、歯茎の裏、舌の裏。そして舌先から絡まりつつ一気に喉まで… いや、これは舌ではなくなんらかの液体だ。 喉への突然の侵入に俺は咽せ、吐きだした。 女の顔に唾液と混った液体が大量に吹きかかり その顔は真っ赤な粘液にまみれた。
「あら、起きてしまいましたか。せっかく中から一気に吸ってしまおうかと思っていたのですが。」
女は言いながら粘液まみれの顔で笑う。 すると粘液は重力に従うことなくひとりでに動きだし、女の口内に消えていく。
ここへきて、ようやく俺は今の異常な状況に気がついた。 俺の身体は壁にもたれて床に座っている状態のまま動けない。 見ると首から下が真紅のゼリーのようなものに包まれ、完全に固定されている。 そうだ、俺は堤にいつものように迫っていたところだったはずだ。 しかし目の前には知らない女。
「お、お前…、何者なんだよ……っ!!お、おお、俺の店で何してるんだよ!?」
顔からすっかり粘液など消え、元通りになった女は変わらずにんまりとした笑顔でこう答える。
「何者……。そうですね、名前はまた後で考えましょう。 それよりいいことを聞きました。ここはあなたの店なのですね?」
「そ、そそ、そうだが…、な、なな、な、なんだお前は!? お、俺の店の、ひ、ひひ、秘密でも、さ、探りに来たのかっ!!」
「あら、秘密まであるのですか?ふふふ、ではこれからじっくり聞かせていただきましょうか。 ああ、一気に吸ってしまわなくてよかったわ。」
「な、な、なな、なんだって? そ、そんな、ここ、こと言うわけけけ、ないじゃないか!!」
「あら、素直じゃないのですね? なら、身体に直接聞くだけですわ。」
言いながら女は右手の手袋を外す。そしてあらわになった手のひらを、そのまま俺の額へと当てた。
じゅぶり
なにかが沈む音がした。俺の中に、なにかが入ってくる。 痛みもなく、ずぶずぶと額を抜けて直接頭へと入ってくる!!頭を直接触られている!! 脳がどろりとしたもので包まれてゆく……。 ふわふわと魂が抜け、やわらかいもので包まれるような感覚…。 味わったことのない、しかし、確かに、幸福な……。
しかしその感覚は長くは続かなかった。 幸せを手にしたと思った瞬間、その手をするりと抜けていった。 気がつけば俺の目の前にはまたあの女がいて、彼女は手袋を着けているところだった。
「ふふふ、まだ続けてほしかったですか?残念ながら、 これ以上続けたらせっかくのごちそうが壊れてしまうところでしたので。 しかしなかなか面白いひとですね、荒井さん。」
女は全てを見すかしたように俺の名前を呼んだ。俺は名乗っていない。 しかし、彼女が俺の名前を知っているのは、ごく自然なことに思えた。 俺の全てを読みとったのだ、その手で。
「情報は集まりました。ありがとうございます。 どうやらこの仕事、とても楽しくなりそうですね。ふふふ。 さて、貴方には朝にでもマネージャーの引き継ぎをしていただいて、 それから、ゆっくりと…」
「ひひひ、引き継ぎって、お、お、俺がマネージャー、や、やめるわけ、な、なな、ないだろ!! そそ、それに、だ、だれが、つつつ、次のマネージャーに、な、なるんだよ!?」
「あら、また素直じゃないのですね。 次のマネージャーは当然この私ですわ。」
「ばばば、ばけもの女を、つ、次のマネージャーだなんて、 そ、そそ、そんなこと、いいい、言えるわけないだろ!?」
「ふふふ。人間でないからこそ、貴方は私に逆らえなくできますわ。 そうですね、丁度貴方はもう、私の身体のなかにいることですし、 外から吸い出してあげましょう。」
言いつつ女はまた手袋を外しはじめる。 女の瞳が妖艶に、緑色に輝いた気がした。
荒井・一、完
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